羊が放牧されている広い牧草地になぜかオペラハウスがあり、音楽祭にはアッパークラスの皆様が高級車にグルメな昼食と椅子から何からピクニックセットを満載して使用人を連れ、こぞってお出かけなされる。そう、やたらとフォートナム&メイソンで売っている籐で編んだピクニックセットは、ああいう時に使うのである。なんという贅沢。これを贅沢と言わずして何と言う。こういうわけで、私は主にコバルト文庫で培った英国への幻想をよけいこじらせたのであった。
最初に2014年版についてあたりさわりのない長所を言っておくと、全体的に衣装もセンスが良く、特にフローラの衣装が洗練された派手派手しさがあって非常に良い。ヴェネラ・ギマディエヴァも完全にヴィオレッタ然としたルックスなので映像で観て映える。
さて、私がこの2014年グラインドボーン版で特に強調したいのは、アンニーナに関する演出である。これを観てあまりにも椿姫を好きになりすぎて佐渡裕プロデュースのバージョンも2015年に観たし、セットが非常にミニマルでかなり特異なデッカー演出版も観たのだが、アンニーナはまあ普通に演出すればかなり端役で、佐渡裕版ではおばちゃんだった。しかし、この2014グラインドボーン版では妙齢のアンニーナとヴィオレッタの絆がめちゃくちゃ描かれているのである。
幕が上がると、前奏曲の時点からしてアンニーナが眠るヴィオレッタを意味深に見つめている。「乾杯の歌」の後、アルフレードが帰った後のヴィオレッタの独白では、浮かれつつも自分を律しているヴィオレッタに「素直におなりになったら?」というように応援し、「真実の愛なんてやっぱり馬鹿げてるわ。享楽的に生きるのよ」というヴィオレッタに「もう付き合いきれない」というそぶりを見せる。しかし、セリフがないが故に、見ようによってはヴィオレッタが運命の人を見つけてしまったことにじっと耐えているようでもある。3幕が始まる前には死期が近いヴィオレッタの様子に胸をつまらせて、声をおさえて泣いている。なんだこの百合の花咲く関係性は。