墓場よりお送りいたします

ブン学、オン楽、映画のはなしなど

最後のくちづけを、そして愛した女の血の雨のふる/ケイン『郵便配達は二度ベルを鳴らす』

ヴィスコンティの映画をだいぶ前に先に観て、今回原作を読みました。ヴィスコンティは勝手に映画化して違うタイトルつけてたから、デビュー作なのに公開禁止とかになってたらしいです。


地に足のつかない根無草の男・フランクが、魅力的な人妻コーラに出会ってしまったがために共謀して彼女の夫を殺し2人で暮らしていくことになるものの、結果的に自分の子を身籠ったコーラまで失うことになる物語。

解説ではコーラは「ファム・ファタール」だと言われてるんですけど、なんか違うと思う。確かにフランクは(ついでにパパダキスも)破滅してるけど…。私の中でのファムファタールのイメージって、なんかもっとこう意図的に男を破滅させに行って自分は高みからワイングラス転がしてるみたいな感じなんですよね。もしファムファタールが死ぬとしても、007のエヴァグリーン様みたいな感じというか……


コーラは普通に優しいし、もうフランクとはだめだと思って出ていこうとする良心もあるし、情緒的にあんまりタフじゃなくて弱いところがあるし、子供みたいな可愛いところもあるし、フランクを意図的に陥れてるわけではなくて、フランクが堕落していくのは自分で勝手にやってるだけ50%、2人が否応なく自分たちを巻き込んでいく「破滅的うねり」のせい50%だと思います。だからコーラにファムファタール性を帰すより、2人が作り出し、かつそんなことしたくないのに巻き込まれてもいる破滅的状況がファムファタールが男に仕掛けるような狂おしさを思わせるんじゃないでしょうか。最後の事故もコーラのせいじゃないし。


本作は発売まもなく大ヒットしたもの当時の風潮からすると暴力描写や性描写が過激すぎて映像化に時間がかかるなどある意味で敬遠されたらしい。でも現代の読者はもっと過激なものに慣れてるから、そういった過激さに惑わされずに真のハードボイルドを感受することができる…みたいなことが言われてるんですけど、詳細なねちこい描写はないにしてもコーラがフランクに唇を「噛んで!噛んで!」とねだるところとかはちゃんと新鮮さと淫靡さがあると思います。あとパパダキスを殺して車を崖から落とした時に、服を裂いたらコーラの乳首がつんと俺の方を向いていた、とかも妙にエロチックですね。事故のシーンはしたのかしてないのか微妙な描写ですけどグチャグチャの車の横で、コーラのいう「山」の頂でセックスしたのでは?と思いました。事故後しばらく経ってからの情事のシーンで乳首の対比が描写されてるところの「彼女は全ての娼婦のひいばあちゃんみたいだった」みたいな言い回しはあんまりわからんかったな……。


でもこの物語における性描写とか暴力(殺人)描写は単なる味付けのためであって、あんなに心を入れ替えて清々しい気持ちで彼女とその子供と生きていこうとしたその矢先に彼女が死んでしまったという運命の皮肉と絶望感が最も重要だと思います。そしてフランクはコーラを死なせてしまうなんてことは全く予想していなかったけれど、車が大破して自分の視界もめちゃくちゃになったその瞬間、衝撃に続いて絶望や悲しみが迫るのを感じつつも、運命が自分に用意したものを理解してどこか落ち着くべきところに落ち着いた安堵を感じたのではないかと思います。まず聴覚がコーラの死を教えます。そして目に映るおびただしい血。彼女の死はいきなりビジュアルで脳裏に飛び込んで来るわけではないわけです。フランクはコーラの死を前にして怯えてもないし、取り乱してもおらずむしろ薄々わかっていたことかのように受け入れています。だからあのフロントガラスに突き刺さったコーラへのキスが出るんだよ。


多分これ今の時代背景に置き換えて映画をリメイクしても、変にエロやバイオレンスに寄せすぎずにしっかりとフランクの決意と絶望を描けばやり方次第ではすごく面白いと思います。今回はもっとハードボイルドな記事サブタイをつけたかったけど、好きなシーンを描写しようと思ったらウェット&ソフト&妙な日本情緒感になってしまいました。