墓場よりお送りいたします

ブン学、オン楽、映画のはなしなど

輝く土色のメコンを渡る(愛人/ラ・マン)

「愛人/ラ・マン」を観た。

この時代のこの東洋人の男のパリッとした髪型にめちゃくちゃ弱いんだぜ私は。


あらすじ

フランス領インドシナ。貧しいフランス人の少女が休暇を終えてサイゴンの寄宿舎に帰る道中のメコン川を渡る渡し舟に黒塗りの高級車が載っている。中から出てきた金持ちの華僑青年に「送ってあげようか」と声をかけられ、少女は車に乗り込む。

男は明らかに少女に憧憬と欲望の入り混じった想いを抱いており、その後も少女の前に高級車で何度も現れる男と少女は関係を持つが、男を愛しているわけではなく快楽のため、金のためと割り切っている。やがて男は家のために華僑女性と結婚することになり、父親に直談判するが認められない。少女に「愛している」と言い募るが少女は帰国するつもりでおり、あくまでつれない。結婚式の日、華やかな花嫁行列の向こうから少女は男を眺める。「最後に会おう」と約束していた、逢瀬を重ねた部屋で少女は男を待つが、男は現れなかった。

数日後、少女は帰国の途につく。メコン川を出発する客船から港を眺めていると、黒塗りの高級車が停まっているのが見えた。男が来ていたのだ。

その後、少女はパリで暮らし、老境に差し掛かったころ、妻と旅行でパリを訪ねた男から一本の電話を受ける。男は「あの頃と変わらずあなたを愛している」と言った。男とはそれきりである。


この話は主人公が男を完全に突き放した態度だからこそ成立してて、白人の少女と華僑の男という上下関係のねじれの中で、主人公が男を徹底的に中国人として蔑むことで逆にいわゆるストレートな“”””純愛”””には表現し得ない淡々とした感情が出てくるんじゃないかと思う。男のことを全く好きなそぶりを見せないし。印象的なガラス越しのキスも、男に自分の身体を求めさせるために挑発したとしか思えない。

主人公が帰国する船上でショパンを聴いて泣くシーンはちょっとベタさが胸焼けする感はなきにしもあらずなんだけど、それまでの演出のおかげか、安い「失って初めて気づく愛」に堕していないのではないか。


普通にシチュエーションだけ見て考えたら、男は少女の貧しさと若さにつけ込んでる。でも少女が徹底的にドライな一方で、男が情けないほどに純情な恋心を持ってることで、彼女もどこか救われてたんではないか。


ふたりはメコン川で出逢い、メコン川で別れる。湿って暑いベトナムの空気に溶けるようなギラギラとした輝きを放ちながら、しかしどこまでも泥色をしたメコンで。結ばれない運命でも、その感情が恋ですらなくても、お互いの存在は記憶の中にいつまでも残っている。