墓場よりお送りいたします

ブン学、オン楽、映画のはなしなど

急にテンポ早くなって終わるMV的読後感/『かか』

宇佐美りん『かか』を読んだ。独特の「かか語」で綴られる19歳の、みずみずしいというにはあまりに生っぽい母親への感情。最後にたたみかける走馬灯のような「結局こうなった」のターンは、最後に急にテンポが早くなってカットがどんどん切り替わって音がジャンッと鳴ってブツッと終わるミュージック・ビデオとか映画のエンドロールのおまけ映像みたいな読後感だった。そういうのどこかで観たしありがちといえばありがちなんだけど全く思い出せない。強いて言えば少しだけフジファブリックの「桜の季節」とか、カットは切り替わらないけど急に終わるところがそうかな。


もうこの話は、「わたしは、かかを、にんしんしたかった」に尽きると思う。主人公うーちゃんは、自分が生まれてくるには母親の処女喪失が必要で、産まれてきたが故に父親と母親を決定的に結びつけることになってしまった。もともと父親と母親はうまくいくはずがなかったのに。そうして、母親を壊した。だから、母親の処女を奪わない形でもう一度母と出会いたいのだった。処女懐胎への希求を抱きながら熊野に詣でて、精神的な仏との交合や森の中での懐胎を経て、子供時代のような何かに別れを告げる。子は鎹というけど、子は軛でもあって、しかし何かを断ち切ってしまうものでもあって、この作品における子供が産まれることってなんだか「内側からの破瓜」のような決定的かつ不可逆な破壊の概念なのかなあと思った。


全体的に熱量がすごくて仏像へ性欲を抱くくだりとかグイグイ読んでしまったが、ハムスターが死ぬくだりとかはいまいち意味がわからなかった。

あと端々に出てくる生理の描写とか、「私たちを産んだ子宮はもうないんよ」とか、謎の女性器への意識がチラついて、なんか一歩間違うとジェムリンガとかそういうカルト子宮系女子への謎のウケとかが起こってしまいそうな危ういものも感じてしまった。まあ男性作家の変な生理のロマン化とか軽視に比べたら女性サイドからそういう子宮に対する感覚にスポットを当てた創作するのは全然いいんだけど…。

赤子への嫌悪感とか、子供を産むにはなんでセックスっていうプロセスがくっついてないといけないのかとかめちゃくちゃ共感ポイントはあったけど、ある意味自分とは全く方向性の違う(産みたい、という生殖への欲望を含む)「性的欲望」にあふれた話だったかなと思う。世の健全な女子たちよ、母親のこと信仰するなよ。