墓場よりお送りいたします

ブン学、オン楽、映画のはなしなど

有機的な断片たち/『盆栽/木々の私生活』

最近本にも映画にも集中力が続かない上、平日は少ししか読者に宛てられない労働者なのでこういった断片的で語りが行ったり来たりする物語に対してこっちの読み方が悪かった。嗚呼労働者の悲哀よ。最近珍しく集中できたのは「パチンコ」で、本当にどうにもならない時はアルモドバルとラース=フォン・トリアーしかひと続きで観られないという状況に陥ります。ラース=フォン・トリアーのことは大して好きでもないのに……。


訳者のマツケン先生もあとがきで書いていますが、この本に収められた二つの物語には「別れ」が通奏低音として流れています。どちらかと言うと「木々の私生活」の方が「ベロニカが帰ってこない」ということを手を変え品を変え提示してくれ、フリアンの焦燥が冷静な筆致ながらもちゃんと描かれていて理解しやすかった。(対して「盆栽」はエミリアの死の位置付けがあんまりよくわからなかった………)あえて「ベロニカが帰ってこない物語だ」と言い続けることで、フリアンがどんなに関係回想をしていようがこっちはなんとなくベロニカを待っている気持ちに留まっていられるので。フリアンが考えたダニエラの未来からシームレスにダニエラの本当の将来のような文体に繋がっていくのが良かった。

終盤までは、この話はベロニカが帰ってきてもおかしくない時間でおさめて、結局帰ってくるのか帰ってこないのかわからず、すべてフリアンの思い過ごしだったかもしれないみたいな展開になると思っていたけど結局ベロニカは帰ってこないで朝を迎えてしまったことに驚いた。ベロニカが何をしていたのかは宙吊りになってしまう。フリアンはなんでもない風を装ってダニエラを学校へ送っていく。


穏やかなようでいて私たちの生活には実は不安も諦念もそこにいつもある。未来とはダニエラの物語である。