墓場よりお送りいたします

ブン学、オン楽、映画のはなしなど

登場人物全員バカ/『セックス発電』

言いたいことはタイトルの通りである。

少し前になんだか疲れて元気を出そうと思い、「おバカエロ映画でも観るか…」という時期があった。(そんな発想になる奴あんまりいないと思うけど。ただし、ここで言うおバカエロ映画とはあくまでいわゆるAV然としたAVではないことは断っておきたい。)

そしてここで脳内にPOP UPしたのが『セックス発電』だった。アマプラの有料チャンネルにラインナップされていて、初めて知った時は「あまりにもバカそう」と思って観る気が起きなかったのだがこういう「観るのに脳みそ使わなくていい系」というのもあったらあったでいざという時に役に立つのである。(このテンションの何が「いざ」なのか?)


さて、一応調べたのだが『セックス発電』はパスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ監督の手による1975年の映画で、原題はもう少し直截的でなく「愛に励むことには価値がある」というような意味らしい。(Wikipedia 調べ)

このカンパニーレ監督なのだが、あのヴィスコンティ若者のすべて」や「山猫」の脚本を担当した人物だというから驚きである。屋根裏部屋でタンクレディがアンジェリカを押し倒すまでいったのに良心を持って契らなかった「山猫」の高尚さはどこへ?


『セックス発電』そのものに戻ると、化石燃料を使い尽くし、電気もガスもない2037年、主人公のコッポラ教授は「女性のエクスタシーをエネルギーに変換して発電する」方法を開発する。実験のため、ローマ一のドン・ファンであるダニエレと、ローマ一の子沢山であるフランチェスカを事故に見せかけて誘拐し、二人を同室に入院させて二人がセックスするようあれこれ画策する。教授の作戦が功を奏してついにセックスした二人からは街灯を灯けるほどの発電量が得られ、コッポラ教授の仮説は実証された。長らく失われていた発電技術の復活をうけ、政府要人の会議に呼び出されたコッポラ教授は、ホテルでの実証実験をへて大々的に認められ、国を挙げて発電のためのセックス奨励を提言する。その後、セックスが国民の義務となると、発電に繋がらない愛撫だけのいちゃつきが増加し問題となっていた。そこで教授はあらゆる恋愛を禁止し、挿入を伴うセックスのみを奨励するよう政府に助言する。実験を通して心を通わせるようになっていたフランチェスカとダニエレも、隠れて愛の言葉を囁き合うが、人影がさすと急いで挿入をするのだった。コッポラ教授は「禁止されていた時はあんなにやっていたのに、奨励されると途端にしなくなるとは!」と自嘲する。今や皮肉にもセックスは最も愛から遠ざかってしまったのだった。


本当に登場人物が全員相当バカで、脱いでるシーンを見せたいがためにいろいろこじつけているにしてもこれはひどい。悪い意味でのイタリアクオリティである。しかも全然雰囲気がないので観客に対して全くエロい気分を喚起しない。

フランチェカが縦笛の演奏中に気絶するシーンなど、ベルの部分まで口に刺さっていて失笑ものである。しかし、最後まで観ると、えっ!?しっかりディストピアものになったやないか!といい意味で期待を裏切られる。登場人物は全員バカだったけど…。

頭使いたくない時にはオススメです。